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2010年10月11日月曜日

子供たちとの対話 2

20 美しいものを眺め、観察し、注意のすべてを向けるには、心は心配事から自由でなくてならないでしょう。問題や悩みや思索に囚われていてはなりません。本当に観察できるのは、心がとても静かな時だけです。自由の問題への手がかりは、たぶんここにあるでしょう。

21 自由とはほんとうは、恐怖や衝動がなく、安心したいという欲求のない心境です。

22~23 教育とは、ありのままの自分を理解すること

25 心は過去のすべての知識を保持しているからです。そこで、智慧は君自身を理解することによって生じてきます。そして、人々、物事、考えという世界との関係の中でだけ、君自身を理解できるのです。智慧は学問のように習得できるものではありません。それは大いなる反逆によって生じます。

29 子どもが自分で自覚する環境づくりが、教師と親の役割


→ 「自由」「自覚」「智慧」などについてまったく意識することもなく展開しているのが、私たちの教育であり、ジョナスも受けた教育です。



32 依存からの自由の大切さ。

33 自由と愛は伴います。愛は反動ではありません。愛するとは、何の報いも求めないし、与えているとさえも思わないことなのです。そして、自由を知りうるのはそのような愛だけです。しかし、君たちはこのための教育を受けていないでしょう。


→ 「愛」も抜けていますね。



38 教育は生徒とともに教師を教育する過程でなくてはならないわけです。


→ 自分も常に学び続ける必要があると認識している教師は、果たしてどのくらいいるでしょうか? 同じことは、上司にも。そして親にも言えてしまうのでしょうが。


  知識だけはあっても、学びの存在しない社会の成立!



41 すべては生の一部です。それで、もし君が本を読むことを知らないで、歩くことを知らないで、木の葉の美しさを堪能できないなら、君は生きていないのです。君は生の片隅だけではなく、その全体を理解しなくてはなりません。それゆえに、本を読まなくてはならないし、空を見なくてはならないし、歌い、舞い、詩を書き、苦しみ、理解しなくてはならないわけです。というのは、そのすべてが生であるからです。


→ この辺は、holistic education(ホリスティック教育)と通じますね。

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