43 見出すために聴いているのなら、心は自由で、何事にも傾倒していません。とても鋭く冴えて生きていて、探究して知りたがり、それゆえに発見することができるのです。それで、君はなぜ聴くのか、何を聴いているのかを考えることが、とても重要ではないですか。
44 聴くということの真髄
→ この辺、細川さんが『魂のランドスケープ』の中で言っていたことと通じますね。
49 真実の教育とは、何を考えるのかではなく、どのように考えるのかを学ぶことなのです。どのように考えるのかを知って、本当にそうする力があるなら、そのとき君は自由な人間で、教義や迷信や儀式から自由です。したがって、何が宗教かを見出すことができるのです。
55 創造性は、深い不満がある時にだけ生じてくる創意に根ざしているのです。
56 それで、この完全な不満を持たなくてはなりません。しかし、喜びを持ってです。理解できますか。不平を言わず、喜びや快活さや愛を持って、完全に不満でなくてはなりません。不満を持っているほとんどの人たちは、ひどく退屈な人たちです。彼らはいつも、あれやこれやが良くないと不平を言ったり、自分がもっと良い地位にいたなら、もっと環境が違っていたならと願っています。なぜなら、彼らの不満は極めて表面的であるからです。そして、まったく不満を持たない人たちはすでに死んでいるのです。
59 受け入れたり従ったりすることなく、質問し、究明し、精通するとき、そこには洞察があり、そこから創造性や喜びが生じてくるのです。
→ 創造の源としての「不満」。そして、服従や妥協の排除。
質問、究明、精通、洞察は、「問いかけのサイクル」を持つことで可能になる。
62 時の枠組みから超える状態があるのかないのかを本当に見出したい人は、文明から自由でなくてはなりません。つまり、集団的意志から自由で、一人立たなくてはなりません。そして、これが教育の不可欠な役割です。一人で立つことを学び、そのため大勢の意思にも一人の意思にも囚われず、したがって何が真実なのかをあなた自身で発見する力があるということなのです。
→ まさに、「自立した学び手」ということ。
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