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2010年10月19日火曜日

英知の教育 4

106 思うに正しい教育とは、決まりきった習慣 ~ いかに立派で気高いものであれ、いかに技術的に必要なものであれ ~ にはまらないように精神を養うこと、知識や経験によってではなく、それ自体としてとてつもなく生き生きした精神を養うことなのである。

107 私は知識に反対しているのではない。しかし学ぶことと知識を習得することとは違う。知識の蓄積しかないところでは、学びはやむ。少しも獲得がないときにのみ、学びがあり得る。もっぱら知識が重要になるとき、学びはやむのだ・・・世界中で行われている教育は単なる知識の習得に過ぎない。それゆえ精神は鈍化し、学ぶことをやめてしまう。そして、その獲得物が生き方を指示し、それゆえ経験を限定するようになる。これに反して、学びは限りない。

111 目先のことしか関心を示さず、長期展望を持とうとしない教育関係者。

121 私の関心は、精神を目覚めさせ、精神をとてつもなく生き生きとさせておくことにあるのです。精神は知識によって生き生きとさせておくことができると私たちは言います。それゆえ、私たちは知識を詰め込むのですが、それはかえって精神を鈍らせるのです。時間の中で働く精神は、依然として限られた精神です。しかし時間の中で働かない精神は、とてつもなく機敏で、とてつもなく生き生きしているので、その生気を、まだ捜し求め、探究している無垢な精神に与えることができるのです。・・・学びは時間の外になるのです。

→ 結果的にやってはいけないことを教育システムとしてやり続けている、ということ。取り返しがつかなくなることはさけなければ!!!


135 私たちは、教師と生徒との間の適切な意思疎通の確立について話し合い、共感の状態においてはじめて、生徒が学びはじめるのにふさわしい、従来とは異なった雰囲気や環境が作り出されることを知った...思うに、学びは、教師と生徒が共感の状態があるときにのみ存在しうるのだ。それは私と皆さんとの間にも言える。「コミューニオン」=意思疎通すること、触れ合うこと、ある気持ちを伝え、それを分かち合うこと。そしてその状態で、その一体感の中ではじめて、教師と生徒が共に学ぶことができる。

→ 教える/学ぶにおいては、関係性がとても重要。
  というよりも、何事にもこの関係性、意思疎通、コミュニケーションが成り立つかどうかが鍵のような気がします。これが成り立たないことによる弊害は計り知れないものがあると思います。
  それは、ジョナスのコミュニティにも言えることですし、私たちにも。

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