72 教育に終わりはない。教科書を読み、試験に合格すれば、それで教育が終わるというものではない。人生の全部、生まれてから死ぬまでが学びの過程なのだ。学びは終わりを持たず、それが学びの超時間的性質である。
73 イメージなしで(言葉なしで)見る。ものごとがそのあるがままにある。
75 好きですることを、見つけ出す
→ この捉え方の違いによって、失っているものの多さに頭が行ってしまいます。
77 正しい教育とは、教科書をカバーすることではなく、問題が起こるたびに君たちがそれを理解するのを助けることであって、それには優れた精神が必要だ。すぐれた精神とは、論理的に考える鋭い精神、何の信念も持たない精神のことだ。なぜなら信念は事実ではないからだ...君たちがほんとうに心から好きでできることを君たち自身が見つけるのを助けることだ。
→ 単なる「問題解決能力」とは違うようです?!
78 自分自身を知るにはどうしたらいいのか? → 瞑想??
80 愛とは何か知っているだろうか? 人々を愛するとはどういうことか知っているだろうか? 思いやること。
面倒を見る気持ちが愛情の始まりである。ものごとの面倒を見れば見るほど、それだけ君たちは感受性豊かになる。そのように、愛情、優しさ、親切心、寛大さがなければならない。
81 思うに、子どもたちはそれを持っている。
82 君が誰かを愛していれば、責任も義務も犠牲もない。愛するからこそ君はものごとをする。
84 愛は、その中に優しさ、安らかさ、親切、思いやり、そして美がある感情である。愛には何の野心も嫉妬もない。 学ぶことと愛は同じか??
86 まず第一に、機械的な人生を送らないこと。機械的な人生とは、誰かに言われたとおりに何かをすること。
第二に、他人に対し非常に優しく親切にし、傷つけないこと。人々を見つめ、助け、寛大で思いやり深くなければならない。
87 愛がなければならない。さもなければ君の人生は空しい。
人々を愛するとはどういうことか、犬、空、青く霞む丘や川を愛するとはどういうことかを見出すようにしなさい。愛し、感じなさい。
そのとき君は、瞑想とは何か、非常に静かな精神、オシャベリでない精神を持つとはどういうことかを知るに違いない。そして真に宗教的な精神を知ることができるのは、そのような精神だけである。そして宗教的精神、宗教的感情なしには、人生は香りのない花、さざなみ立つ水をけっして知らなかった川床、けっして木ややぶや花を育まなかった大地のようなものである。
→ 「愛」の大切さが繰り返し出てきます。
教育の場で「愛」を扱うことはあるでしょうか? 戦争前・中に「祖国愛」は叩き込みましたが。
愛も含めて、感情的な部分・精神的な部分は弱いままであり続けているのが学校教育です。
そして、他の場でも補われていません。
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