144 いまでは人に会えば必ずなんらかの影響を受けることを承知している。そしてもはやわたしはそれを偶然とは呼ばない。意識しているかどうかにかかわらず、わたしたちはみんな伝達の基地なのだ。そこでわたしたちは目に見えないシグナルや周波数が高すぎて、普通の耳ではとらえられないシグナルを送信したり受信したりしている。意識する、しないにかかわらず、それが私たちの人生の舵であり帆となる。
→ この発想というか考えも、とても共感します。まさに、日本に古くからあった「一期一会」の発送そのものとも言えるわけで...
しかし、どうも都会の生活というか、時間に追いまくられる生活を送っていると、こういう感覚は持ちにくいわけです。
160 「不可欠なもの」とは、本質と関係する、あるいは本質を構成するもの、と定義される。あるいは、「個々の、本当のあるいは究極の、ものごとの性質」とも。
161 使えるものは何でも使う。古いものを使いこなす。無駄をしない生活。
162 禅の修行僧の生活 ~ 最小限のもので生きるという意味で。
164 生活によけいなものがないと、頭の中までよけいなものがなくなる。積もり積もったものを剥がし、捨てて、ものごとの核に近づいていたとき、わたしは不必要な習慣、感情や反応をも捨て始めた。なによりも、わたしは感謝することを教わったと思う。小さなものごとの「性質、価値、資質、意義」を把握すること。感謝は、わたしたちの暮らしの中であまり評価されてこなかった感情である。
→ 私たちがいかに必要のないものをたくさん持つことで生きているか、必要のない習慣に縛られているかを考えさせられました。
メモを取り忘れましたが、本の最後の方に、最悪の時に自分がもっていくものをバッグの中につめるとしたら、というような設定で、自分自身にとって必要なものというか、欠かせないものをリストアップしているところがありました。他のものがなんだったかは忘れましたが、哲学関係の本を10冊あげていたのがとても印象的でした。それらについては、一応調べてみたのですが、古い本が多いこともあって、半分ぐらいは日本語で入手できないこともわかりました。
167 自分の全人生の基礎は怒りと反抗だったと理解するようになった。それはときにはものすごい憤りや憎しみさえも起こさせたにちがいなかった....振り返ってみると、わたしに反抗心があったから助かったのだ。
怒りは服従や諦めよりも健康的なのだ。
→ 一見、「愛」とは正反対のような生き方に思えるが、ところがどっこい、結構「怒り」や「反抗」は「愛」をベースにしている気さえしてきました。
168 突然、わたしは反攻するものがなくなった。自分以外には。
一人で生きることは学習のプロセスである。なかでも、一度学んだことを捨てるプロセスである。ある意味では、他の人と一緒に生きる方が簡単であると言える。すべてを自分一人で決める必要がないからだ。
→ 人に頼らない生き方をするためには、相当学ばないといけないということ。そして、面白いのは、依存していた時/服従していた時/諦めていた時に当たり前だと思っていたことを捨てる(unlearn)プロセスだということ。
そして、当然のことながら一人で生きる=人に頼らない=すべての判断も他人に委ねない生き方ということ。
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