しばらく続いてきたクリシュナムルティの2冊の本の紹介は、今日で終わりです。
以下は、短い引用が続きますが、それぞれ大事なことを投げかけてくれていると思います。全部とまでは言わないまでも、『ギヴァー』と関連するものがほとんどでもあります。
139 精神が、言葉の真の意味において学びはじめるのにふさわしい土台を確立できるのは、比較することの愚かしさに気づいて、比較していない状態にあるときです。
143 共感をどう行動に移すかは、ひとえにその思いの強さにかかっているのです。競争は、極めて破壊的なもの。
148 全体を見ることの大切さ
170 私たちが必要としているのは、むしろ指導者からの自由だ。
171 どんな種類の理想も非常に雄大だからだ。理想は事実を見ることを妨げる。しかるに、正しい方向への運動となるエネルギーを解放するのは、事実への関心と事実の理解のみである。理想は単に様々な種類の逃避を生むだけだ。
これは大きなものから小さなものに目を移すことではない。なぜならこの学校は、世界で起こっていることの縮図だからだ。
173 もし何か新しいものを発見したければ、古いものを手放さなければならない。
177 思いやりの関係
179 他人と分かち合いたいと望む精神の状態
共にある経験をしつつあるということ。教師と生徒の間の信頼関係
198 観察し、考えること、鋭敏な精神、静謐な精神を持つこと、感じやすく、鋭敏で、強健な身体を持つことが必要だ。
→ これらのどこまでが今の学校でやれているかな~、と思ってしまいます。
もちろん、学校だけに問題があるわけではなく、社会全体にここに書かれているような関係や状態が希薄というか、ないことが問題なわけで...まさに「学校は、世界で起こっていることの縮図」です。
217 反抗には2種類ある。一つは暴力的反抗。これは、単なる反発にすぎない。もう一つは、英知の反抗。それは自分自身の思考と感情を理解することから生ずる自己認識の道である。体験を素直に直視し、いやなことも避けて通らないようにすれば、われわれの英知は大いなる覚醒を維持できる。このような高度に目覚めた英知こそは直感であり、それが人生のおける唯一の導きの杖である。
→ 『子供たちとの対話』の13~14ページに出てきた「反逆」よりは、「反抗」の方がいいですが、まだそれでも...という気がします。
英知を可能にする教育を提供する場としての学校がいかに少ないことかを考えさせられます。担っている人たちのほとんども、そして一度はそこを通過したことのある人たちも(要するに、すべての人たちが)、英知の必要性を認識していないという大きな問題が横たわっています。
『ギヴァー』の中で、レシヴァーの求められるのは、「知性」「正直さ」「勇気」そして「叡智」でした。そして、「愛」も。
(ちなみに、英知と叡智は同じことを指すようです。)
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